「光がわれらを訪れる」 08.12.07
ルカ 1:68〜79
「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、
高い所からあけぼのの光りが我らを訪れ、暗闇と死の陰に座して
いる者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(78-79節)
神さまは、クリスマスの出来事を、ザカリヤの預言を通して
このように言い表します。そして光りは、もうすでに訪れました。
神さまから見ますと、時代、地域、環境が違っても人はみんな
「暗闇と死の陰に座している」ように見えるのでしょう。確かに、
人間の社会を見回しますと、いつの時代も、どの地域においても
人間の罪は多種多様な闇を生み出し続けています。争い、差別、
略奪、搾取、暴力が溢れています。その闇に覆われて、どうしようも
ないのが人間の姿です。そのような人間には、その闇を消し去って
しまうような光が必要です。知恵や努力によって解決されていく闇も
あるでしょう。しかし、罪を抱えるゆえに、人は自分自身で罪から
生じる闇を完全に消し去ってしまうことは出来ません。真の光を
輝かせることは出来ません。ですから、神さまからの光を受ける
ことが、人間には必要なのです。そして、2000年前のクリスマスに、
神さまはそのような光を私たち人間に与えてくださいました。
毎年のクリスマスで、そのことを思い起こすのです。
私たちは、闇に覆われて身動きできないような状況に出会うかも
知れません。そのような時にも、光りに照らされていることを忘れては
なりません。
「もしも世界の終わりのような天変地異が起こって、生きているのが
自分一人になったとしても、自分はクリスチャンである」と言い切る
青年がいました。
自分の信仰がそれほど堅いと言うのではありません。
彼は、自分を信じているのではなく、自分を照らす光りを
信じているのです。
自分がどんなに絶望的な状況に追い込まれたとしても、その光りに
照らされていることは変わらない。だから、大丈夫だと言うのです。
クリスマスを本当に知っている者の言葉です。
私たちを、どんな時も照らし続ける光りは、もう届けられて
います。